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四六時中をついやしたあと

赤い人さんがブログで色々と書かれていたことについて。
記事を読んでいたら、以前納豆Q房さんとやりとりしたことを思い出した。
 
「やめること」について。
(くわしくはこのあたり
 
当時、納豆さんはブログで「オオギリストアイデンティティ」をまとめていた。
その連なりのなかで、私には整理できないことがあった。
さまざまな転機を乗りこえ、アイデンティティを確立していったひとびとが、なぜ、「やめる」のか。
 
ひとびとはオオギリストとして円熟し、技術も、キャラクター性も磨きあげていたはずだ。
なぜそういったひとびとが「やめる」決断に至るのか。これはきちんと整理しておく必要がある。
原因がわかればどうにかなることもあることもある、かもしれないから。
 
というわけで、いってみましょう。
当時納豆さんがまとめた理由に、私なりに考えたものを加えて。
 


①現実との再会

はい。しょっぱなからどうしようもないことですね。
どんなに大喜利にうちこんだって、現実はためらいもなくやってきます。
生活環境の変化は、生活リズムの変化に。
就職、転職、進学、転勤、出家。さまざまなことで変化した日常は、当然ながら趣味にも影響を与えます。
PHPは「はじめやすい」のが最大の魅力であり、それは裏を返せば「やめやすい」ということにもなります。
自分が投稿画面に向かわないことで、自分や周りになにかデメリットが?
そういう質問をされたとき、PHPは(いまのところ)無力です。
積み重ねるレベルがあるわけでもないし、チーム戦でもない。
「いつでも戻ってくることができる」ことは「戻る必要はない」ことを含んでいるのです。
 
残念なことに、もっともどうしようもないこの理由が、もっとも多い引退理由でしょう。
それでも、この人たちに関してはまだ希望があります。
「やめざるを得なかった」人ですから「いつか戻ってきたい」という願望があるやもしれない。
残されたひとびとは「戻ってくる場所」を用意するしかないけれど、待っていればいつか、ということもあります。
 


②他の娯楽への移行

この項目は、ふたつに分けられます。
ひとつは、大喜利以外の趣味への移行。これはまあ、①とさほど変わりないかもしれません。

映画やゲーム、旅行やスポーツ、アウトドア。他の趣味に割く時間が多ければ多いほど、
大喜利に対する熱はひいてゆく。
至極当然のことです。しかしこのことは、決定的な問題を孕んでいます。
先ほども触れた納豆Q房さんは、ブログで下記のようなことをおっしゃっています。

5(大喜利以外の趣味を持て)は、大喜利PHPに飽きたとき、疲れたとき、リアルが忙しくなったときに
ストレスを発散できる方法を大喜利以外にも見つけといたほうが良いですよ、って話。
できるだけ大喜利とはかけ離れた趣味を見つけると良し。
内向的な趣味か、外向的な趣味か。知識を得るための趣味か、自分を表現するための趣味か…
趣味の分類はちょっといま調べてみたけどうまく見つからなかった。うーむ。


大喜利PHPを遊び続けるための心づもり5ヶ条 『The World of Q』より)

 
ここで納豆さんがとりあげているのは、大喜利に飽きたときの保証、発散としての他の趣味の必要性。
で、加えて私個人として思うのは「他の趣味を持っている人間は、大喜利の幅が広い」ということ。
このへんはのちのち述べるかもしれませんが、
どちらにせよ、他の娯楽への興味があるということは、本来的には大喜利をするうえでプラスに働くはずなんですよ。
しかし、これが「度を超す」と、大喜利以外の趣味に完全に興味が移る。
で、大喜利を離れてしまう。
実に皮肉なことですが、大喜利を楽しもうとするあまり大喜利から徐々に距離を置いてしまう人がいるというおかしな論法が成り立ってしまうのです。
 
ふたつめは、他の大喜利への移行。これは他大喜利サイトへの移行だけではなく、
「大喜利と似た趣味」への移行が含まれています。
私は(短歌をやっているせいもありますが)、表現活動というのは、枯渇との戦いだと思っています。
つまり、大喜利以外の表現活動に熱心になったとき、大喜利が必要でなくなる、むしろ邪魔になるということ。
他大喜利サイトにしろ、他の表現的趣味にしろ、一方に全力を尽くすためには、他方を捨てざるを得なくなる。
特にやっかいになるのは、それが大喜利(PHP)とつながっていた場合。例えば、ニコ生やTwitterですね。
オオギリストの本心は、これまで幾人もの人が主張している通り、「人を笑わせる」ということにあり、
その言葉には「大喜利で」「PHPで」という文言は含まれていません。
彼らにとって大事なのは笑わせることであって、その舞台は関係ないのです。
その相手がこれまで笑いのツボを共有してきた人間であればなおさらです。
PHP利用者がニコ生やTwitterに派生していった理由がそこにあることは明らかです。
赤い人さんが『「大喜利PHPコミュっていうか大喜利PHPで知り合ったコミュばっかワロス」的な。』とおっしゃっているのは、
まさにその現象への実感ではないでしょうか。
 
この「移行問題」、特に後者は、ここ1年半くらいで顕著になってきました。
PHPが、単なる「出会いの場」としてしか機能していないという問題。
止められるかどうかは別としても、ひとりひとりがこのことに無関心すぎやしないか、というのが私の思うところです。
 


③「大喜利を続けること」への懐疑

これはわりと抜本的な問題ですね。納豆Q房さんの言葉を借りると「迂回したまま統合期に来たオオギリスト」。
没頭期や適合期、あるいは分離期を経ずに統合期に達してしまった、「最初からなじんでしまった」方に起こりうる問題です。
例を挙げると、
・いきなり大喜利ラジオに凸をして、オフ会にも行き、「大喜利界隈」の世界自体を熟知してしまった
・極度のベタボケ、シュールボケの連投によって「大喜利界隈」での地位を確立してしまった
・はじめた瞬間から得票率が高く、それ以降も特に手法を替えることなく維持できている

上記のような場合でしょうか。これらのパターンは、『知らず知らず「大喜利界隈」でのキャラクターを完成させてしまった』という点で共通しています。
最初からなじんだんだからいいじゃないか、と思うかもしれません。
でも、いつかはやってくるのです。「大喜利を続けること」や「自分の立ち位置」への疑問は。
先に例に挙げた方々は、この疑問への答えをまったく出せずにキャラクターを確立してしまった。
だから、いざその疑問に立ち向かったとき、飽きたり、くだらなく感じて、大喜利自体をやめてしまう。
 
こういう方々に必要なのは、やる気の維持です。
そのためには、一度つくりあげたキャラクターをぶち壊す、あるいは引き伸ばすためのしくみを作る必要があります。
 


相も変わらずだらだらと述べてきましたが、私には正直言ってこれらの問題への解決法がわかりません。
それでも、ひとりひとりが意識するだけでだいぶ状況は変わるんじゃないかということで、この文章を書いています。
抜本的な解決方法はたぶんありません。
それでも、
・面白いボケを紹介したくてラジオをした
・荒らしを解決するためにプログラムを組んだ
・誰が強いのかを明らかにするためにランキングを作った
・みんながつながりを持って楽しめるよう、スレを立てた、wikiを作った
・違った楽しみを見つけられるよう、企画をした
 
いままでもオオギリストは頑張ってきたじゃないか、と思わずにいられないのです。


おそまつさまでした。




 


 


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